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aikido & Daito-ryu
aiki-jujutsu

合気道と
大東流合気柔術

合気道とは

一般に「合気道」と言うと、大正から昭和にかけて成立した現代武道を指すことが多く、公益財団法人合気会では創始者である植芝盛平翁(うえしばもりへい、1883・明治16年12月14日 – 1969・昭和44年4月26日)を「開祖」と呼びます。盛平翁は子供時代から複数の流派の柔術や剣術などを習得した人物であり、北海道開拓時代に武田惣角翁と出会い、大東流合気柔術の一部を教授されました。

合気道

Aikido

子供時代から多くの伝統武術を学んだ植芝盛平翁が創始した現代武道。盛平翁は武田惣角と北海道開拓時代に出会い、大東流を学び、三大技法の多くを学んで教授代理を授かり、その後合気道を創始した。
その高弟は養神館の塩田剛三氏や心身統一合氣道の藤平光一氏など、多数存在する。

大東流合気柔術

Daito-ryu Aiki-jujutsu

江戸時代、会津藩藩校の日新館で教授されていた総合武術で、中興の祖・武田惣角翁に受け継がれた。盛平翁も教授代理として大阪で久琢磨に教授していたことがある。
一子相伝として惣角翁から久氏、鶴山晃瑞氏へと免許皆伝されたが、鶴山氏が60才で急逝したことにより免許皆伝が途絶えている。
惣角翁の教授した内容が相手によって異なったことも影響し、現在は多くの流派が存在する。

大東流合気柔術の免許皆伝・鶴山晃瑞(1928 – 1988)先生は私たちの大師匠に当たります。鶴山先生は久琢磨先生より大東流の免許皆伝を受ける以前、20~30代に神道夢想流杖術(奥免許・杖道七段)や植芝合気道も修めていました。
『図解コーチ 合気道』や『図解コーチ 護身杖道』などの名著も著し、その中で以下のように記載しています。

合気道技法の母体は大東流合気柔術である。すなわち、合気道技法は、創始者と言われる植芝盛平が大東流合気柔術の初伝技(合気投げを中心とした)の一部を抜き出して公開したものである。
本書は、合気道の源流である大東流3大技法(天之巻<合気之術>、人之巻<合気柔術>、地之巻<柔術>)の一系列で、大東流合気柔術の教外別伝となる「合気杖」を紹介している。
(中略)
ところで、大東流3大技法が完成したのは幕末期である。尊王攘夷の渦中に、孝明天皇を中心とする「公武合体」の新政策が打ち出され、その体制に対応する武芸として、日新館(旧会津藩藩校)の英知を結集して完成を見たものである。
(中略)
しかし、孝明天皇崩御、大政奉還、明治維新とめまぐるしく時代が変遷したため、「公武合体」の新体制の一環として日新館で完成を見た新武道も、未発表のまま「幻の武芸」となってしまった。
これまで、大東流の全体系を公開する人がいなかったので、一般に普及された合気道技法しか知らない人たちは、(中略)合気道は他の古武道にはない新武道であるとする認識で、誤って現代に伝えている。大東流3大技法は、他の日本伝統古武道には類似したものを見ることができない。(中略)
現在、合気道の創始者として一般にしられている植芝盛平は、北海道遠軽で大正4年に武田惣角から大東流柔術1ヶ条の30本(柔術は5ヶ条118本ある)を習っている。そして大正11年には、綾部の大本教団本部に武田惣角を招き、大本教幹部に教える技法として合気柔術の代理教授(免許ではなく中伝指導員のこと)を許されている。また、この年、大東流棒術(宝蔵院槍術が基礎技法となっている)を習っている。

鶴山晃瑞『図解コーチ 護身杖道』成美堂出版、1984年、P1-3(まえがき)